今回で2回目のブログ投稿になります!しばらくの間、毎日投稿できるように頑張ります💪
今日は、愛犬の柴犬🐕を通して、「自由にどこにでも行けることは当たり前ではない」と改めて感じた出来事についてお話ししたいと思います。
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ハーネスが嫌いな柴犬
我が家の柴犬は、首輪やハーネスなど、体に何かを身に着けるのが本当に嫌いです。
男の子なので、子犬の時に去勢手術をしました。その後、1週間ほど傷を舐めないように「術後服」を着せたのですが、その期間は驚くほど静かで、ご飯の時間と少しベランダに出るとき以外は、ずっとテーブルの下でじっとしていました😱
そんな性格なので、今でも首輪やハーネスをつける散歩が大変です。いつも逃げ回り、テーブルやベッドの下に隠れて出てこないこともしょっちゅう。外に出るのは大好きなのに、体に何かを身につけるのが嫌なのです。いわゆる”裸族”として自由でいたいのでしょう😶
夜中に切ない声で鳴く柴犬
そんな柴犬が、ある日の夜11時過ぎに玄関の前でクークーと鳴いていました。まるで「外に出たいよ」と訴えているような、ちょっと切ない声でした。
「少しだけ外に出してあげようかな」と思い、ハーネスをつけようとしたのですが…案の定、すごいスピードで逃げていきました💨
自由は当たり前ではない
逃げる柴犬を見て、「私なら、行きたいときに自由に外に行けるのに、この子は自由に外にも行けないんだ…」と、なんだかとても切なくなりました😢
でも、その時、ハッとしたのです。
「いや、人間だからといって、みんなが自由に動けるわけではない。手足が自由に動かない人もいるし、目を患っている人もいる。病気で外に出られない人だっている。私自身、自由に動けることを当たり前に思っていたけれど、それは決して当たり前じゃないんだ」と。
そう気づいたとき、自由に歩けることのありがたさを、改めて実感しました。
世の中に「当たり前」はない
最近では、お米不足や水の汚染が問題になっています。今まで私たちは「お米があるのが当たり前」「水がきれいなのが当たり前」だと思っていました。でも、その「当たり前」が崩れた途端、人々はパニックになり、お米の買い占めが起こるほどです😰
でも、お米や水があることに対して、私たちは普段どれだけ感謝していたでしょうか?失って初めて、そのありがたさに気づいたのではないでしょうか。
まとめ
私たちは、自由に動けること、食べられること、飲めること──すべてを「当たり前」と思いがちです。でも実際には、「当たり前」なんてものは存在しないのかもしれません。
柴犬を通して、日々の小さなことにもっと感謝しようと思った出来事でした✨
では、また明日👋
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